こんにちは。オードリ秋丸です。
今日は、私が心から尊敬する上杉謙信の宿敵である、武田信玄の居城「躑躅ヶ崎館」の詰城「要害山城」を攻めてきましたので紹介しようと思います。
躑躅ヶ崎館は、皆さんも行ったことがあると思いますが、要害山城は行ったことが無い方が多いのではないでしょうか?
ということで、躑躅ヶ崎館の武田神社にお参りしたのち、要害山城に登城し勉強させていただきました。
要害山城とは
山梨県甲府市にあった日本の城で、躑躅ヶ崎館の詰城として築かれた山城です。
標高780mの要害山中腹の傾斜地を中心に築かれています。
築城は武田信虎(武田信玄の父)時代の1520年頃と言われています。
居城を石和から躑躅ヶ崎館へ移しており、館の詰城として砦や狼煙台が築かれました。
同年、駿河の今川氏が甲斐へ侵攻し甲府に迫っており、信虎の正室を避難させ今川勢を駆逐している時に城中で嫡男(武田信玄)を出産したといいます。
1582年織田信長の武田征伐による甲斐武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城して修築が行われ穴太積みの石垣が見られる。
1600年の関ケ原の戦いの後、再び徳川氏が領し廃城となりました。
2017年には、日本100名城に選定されています。
登城口
今回は、要害温泉側から登城していきます。
入口に説明板が設置されています。
ここから城までは約1Kmです。
2024年9月13日は、残暑厳しく34℃でしたが頑張って登城します。
これまでも春日山城など登城しましたが、どんなものか・・・
経 路
いざ、登り始めましたが・・・
台風の影響か、登山道はひどく荒れています。
雨上がりの直後は、非常に滑りやすくなると思いますので注意が必要です。
草負けしたりヘビに遭遇することもあるので、運動靴と長ズボンが必須ですね。
本丸に行って分かったのですが、イノシシが堀返した跡があったのでイノシシ(もしかしたら熊もいるかも?)にも注意が必要です。
こんな倒木や。
こんな大木も転がっています。
倒木による障害が3か所もあり、足を踏み外せば坂を転げ落ちる道になっています。
写真のように道は狭く、甲冑を付けた侍が一人やっと通れる道になっています。
堀切、土塁
倒木の障害を通過して、少し真っ直ぐな道を進んでいった先に土塁と堅堀があります。
登山道のつづら折りを上手く活用しています。
右側が登り斜面、左側が下り斜面でここが起点となり折り返しになります。
攻め側からみると登る正面に土塁に防護された敵兵が、弓や鉄砲を撃ちかけてきます。
逃げ場所が無いわけですね。
武田氏は、甲州金が産出していたため資金力があり、鉄砲も初期の段階から揃えていたようです。
この先も巨石を活用して通路を狭め、敵兵の機動力を殺いでいます。
一つ目の門跡
険しい道を進んでいくと、ようやく門にたどり着きました。
左右を土塁と石で固められた門跡です。
門跡を過ぎると今までにない広さを持った空間がありました。
門跡に連接して曲輪が設けられています。
ここに兵を溜めて、門を破ろうとする敵兵を攻撃したのでしょう。
不動曲輪
さらに進むと不動曲輪に到着しました。
武田不動尊
不動曲輪には、武田不動尊が鎮座されています。
ここからは正面に竜華池、右に武田神社(躑躅ヶ崎館)が望め、いつも見守っているのでしょう。
ここまで険しい山道を登って10分経過。
酷暑と多湿で、もう汗だく・・・
二つ目の門跡
武田不動尊に登城の安全を祈願して進むと、二つ目の門跡にたどり着きます。
要害山で最も堅牢に作られた門で、通路を狭め左右を土塁と石垣を築いて防御と攻撃性を高めた場所になっています。
門を通過すると一つ目の門跡同様に曲輪が広がっています。
三つ目の門跡
門の間隔が狭くなってきました。
この門跡は、位置が非常に面白かったので、通じる道を順を追って詳しく紹介します。
門跡の20mほど手前の写真です。
通路右側の木がある部分に通路が狭くなり門があってもよさそうですが、ここには門がありません。
おそらく門跡とこの隘路で、後続の分断を企図していた可能性もありますね。
この狭い道を過ぎていくと・・・
少し開けて「く」の字の道になっています。(石階段の先に門跡があります。)
しかしここからも門跡見えませんよね。
石階段を登ろうとしたときに門が立ちはだかっていたのではないかと思うのです。
すると攻め側からすると門で足止めされ、守り側の門に連接した弓と鉄砲から攻撃されたら逃げたくなりますが、後ろからは後続が寄せてきて下がれません。
後続は隘路で目隠しされているので門跡で何が起きているかなんてわからない。
右側は土塁があり逃げられません。
残るは左側ですが・・・
写真では高低差がわかりにくいですが、かなりの急斜面!
転げ落ちるでしょうね。
看板は手前に門跡表示されていますが、さらに奥に構えられていたら逃げ場なんてないでしょう。
上手く配置され勉強になります。
4つ目の門跡
私の数え方が間違っていなければ4つ目の門です。
ここを過ぎると本丸に到達します。
ここも土塁と石垣で通路を狭め門を構築しています。倒木は門じゃないですよ(笑)
土塁と石垣の高さから、この門もなかなか堅牢な門であったと思います。
本 丸
休みなしの強行進して20分で到着。
山道を歩き慣れている私でも、なかなかしんどい登城です。
汗だくで飲み物必須です。(私は車に置き忘れて無謀な登城となってしまいました。)
本丸は予想以上に広く整備されています。
案内板に要害温泉まで下りで25分とありますが、登りは30~35分ぐらいかかりますね。
信玄公生誕の碑
今川氏と攻防中に城中で生まれた信玄公の碑が建てられています。
ちなみに井戸は、中腹(武田不動尊辺り)にありました。
岩堂峠方向の門
こちら側は、先に支城「熊城」があるためか、要害温泉側に比べて堅固は低いように見えます。
門手前には堀切跡が残っていました。
まとめ
今回は、山梨県甲府市にある要害山城を紹介しました。
躑躅ヶ崎館の詰城ということで、非常に堅固に築城され難攻不落の山城です。
冬にハイキングで登るには良いコースかと思いますが、夏に登るときは飲み物は必須です。
汗を流すには要害温泉で・・・と行きたいところでしたが帰宅します。
汗かいたので、武田神社前で「信玄ソフト」を頂きました。
美味しかった~!
要害温泉に泊まって武田氏の城を散策してみるのも良いでしょう!
何かの参考になれば幸いです。
おわりっ!
おまけ
何とも言えないゲンタの可愛さ♡
ではまた~!
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