伊勢神宮へお参りに。Part5! 別宮 伊雑宮編

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こんにちは。オードリ秋丸です。

「伊勢神宮へお参りに。Part4!」に引き続き、Part5ということで14所の別宮のお参りのラスト1へ参拝することにします。

令和6年9月29日、内宮に参拝したのち、伊雑宮に向かいます。

内 宮

約1年ぶりに内宮にお参りすることができました。

「一生に一度はお伊勢さんに」とは言われていますが、2度も来ることができるなんて・・・

ただ感謝。

去年は8時前に到着して、一番近い駐車場も車はまばらでした。

今年は一時間ぐらい遅らせて9時過ぎに到着したら既に大混雑。

おはらい町通りの商店が8時ぐらいに開くので、8時以前に到着しているのがベストでしょうか。

駐車場はいっぱいあるので、車が止められないことは無いのですが、お参りする際は参考にしてください。

伊雑宮に到着

内宮を出発して伊勢道路(県道32号)を車で約1時間ほど走ると伊雑宮に到着します。

伊勢道路は、森林の中を通り志摩市に通じる道路ですが、片側1車線で交通量も比較的多い走りやすい道路でした。

伊雑宮とは

伊雑宮は「いぞうぐう」とも呼ばれ、三重県志摩市にご鎮座される、皇大神宮の別宮。

志摩地方は風光麗しく海産物に富み、古くから朝廷と神宮の御料を貢進した御食(みけつ)国として知られ、「古事記」にもよく登場する。

伊雑宮も古くから、天照大御神の「遙宮(とおのみや)」として広く信仰を集め、地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒が祈られてきた。

創立は、約二千年前、第11代垂仁天皇の御代と言われる。

参 道

綺麗な参道と右に忌火屋殿が見える。

さらに奥に進むと伊雑宮。

伊雑宮

「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」は、皇大神宮ご鎮座の後、御贄地を定めるため倭姫命が志摩国を巡行したのち、伊佐波登美命が豊かな稲を奉り、神殿を造営したと伝わる。

804年には官名が記されていることから、これ以前から神宮の別宮として位置づけられていると考えられる。

志摩地方は、奈良時代以前から海洋部族である磯部氏の根拠地であり、彼らのお祭りしていた神の杜と、当宮との関係については様々な説があり、いつから朝廷がかかわることになったかは不明確である。

鎌倉時代に編集された「吾妻鏡」には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に送ったと記されていて神領を守るため、伊雑御浦惣倹校職(いざわおうらそうけんぎょうしょく)が置かれたが、室町時代以降は力が衰え、江戸時代初頭、二度の仮殿遷宮は、磯部の郷人の手によって行われている。

伊佐波登美命鎮座地

伊雑宮から200~300mほど離れたところにあります。

風呂屋の谷

磯部の御神田

伊雑宮から100mほどのところにある神田。

黄金色に実った稲が印象的。

まとめ

今回は、14所の別宮の一つ「伊雑宮」を参拝しました。

これですべての別宮に参拝したことになります。

7所で受けられる御朱印も全て受けることができました。

内宮、外宮のみならず別宮でも鳥居の中に一歩踏み入るとそこは別世界。

心が清らかになる気分。

皆さんも一度は訪れてみてはいかがでしょうか。

何かの参考になれば幸いです。

今日はここまで~!

おわりっ!

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